「石粒付金属屋根材、全国シェアNo.1の株式会社ディートレーディング髙木社長のインタビュー♫
「石粒付鋼板屋根材、全国シェアNo.1の株式会社ディートレーディング髙木社長のインタビュー♫
photo:株式会社ディートレーディング 社長 髙木強様
髙木社長の屋根材への想い
ここまで来るにあたり、若い頃、瓦工事会社で培った経験から日本瓦への愛着は深い。
そんな中で、瓦屋根が多かった我が国日本において、石粒付鋼板屋根材と出会った時の衝撃は今でも忘れないという。
この石粒付鋼板屋根材の特徴でもある、高耐久性と通気性のあるストーンチップ(石粒付き)鋼板の良さは、まだほんと度が知られていない。
アメリカでは多く採用されていたものの、日本ではまだまだ周知されていない。
だったら自分でもっと広げていくしかない。
そこで必須だったのが、素材の良さに共感してくれるお客様たち。
そんなお客様ががいてくれたからこまでこられたと思っています。
そう楽しそうに語る、屋根材製品「ディーズルーフィング」の販売会社の髙木社長。
今回は、弊社に来社いただいて主力の販売製品でもある「ディプロマットスター・デディプロⅡ」や「エコグラーニ」「ローマン」といった石粒付鋼板屋根材全国トップシェアを誇る、ディートレーディングの社長でもある髙木強社長に、色々と話を聞いていきたいと思います。
大谷選手のように野球少年だった少年時代。
大量消費大量生産の終焉を感じ、「自分で電気を作る」太陽電池に着目
――どんな少年時代を過ごしてこられましたか?
千葉の市原で生まれて、幼少期から学生時代までずっと生まれ故郷の千葉で、野球少年でしたね。
高校の時、甲子園の夢が破れ、時間がたくさんできたので、色々なアルバイトをしたんですね。
引っ越し屋、郵便配達の他、夜はラーメン屋で働くなど、とにかくたくさんの職を経験しました。
当時は、学生ながらとにかく色んな仕事を経験することで、自分がこれから何がしたいか、何に向いているかを探していたのかもしれませんね。
特に小さい頃から建築業界に興味があったわけではないですが、高校生の時に大工になりたいと思う瞬間がありまして、たまたま同級生のお父さんが職人さんをやっていたこともあり、足場工事や外壁塗装、それから工務店など色々な日雇いバイト経験して、そこで建築の仕事は楽しい、やりがいがあると感じたのです。
大工になりたい気持ちと、住宅業界に興味があったことから、高校を卒業後には住宅設備会社に就職し、その後、22歳の時に瓦工事会社に転職して今の屋根業界に深く足を踏み入れることになります。
――なぜ瓦工事会社に転職されたのですか?
当時は、太陽電池を国が全国に普及させようと動き始めた初期のタイミングで、たまたま知り合った瓦屋さんが太陽電池と瓦を同時に扱っていたと言うのが、入社するきっかけですね。
私はこう見えても、とても素直で心が純粋な人間でして(笑)、将来の日本、未来の世界を考えた時に、地球全体のエネルギー問題が頭に引っかかり、やはり自分の中で、電気というのは自分で作って、自分で消費する。
それが結果、将来の自分達や子供達の暮らしに影響していくことになる。
火力や原子力は便利で、今はそれに活かされているけれども、可能な限り再生エネルギーを使っていきたい!そのような世の中にしたいという信念があったのです。
昔、バブルが崩壊した世の中に、これからは大量生産大量消費の時代はやがて終るというのをなんとなく肌身で感じていて、そこから手探りでしたが、日本の環境を考えたビジネスモデルというのを創造し、実現していこうと考えていました。
――エネルギーを考えたビジネス的な知見や発想はどこから?
そうですね、そのような質問は初めてなので、上手にお答えできるか分かりませんが、実の兄の影響が大きかったかもしれません。
私が小学生の時に、兄がゴミを集めて遠くのスクラップ屋まで持っていたのをまじかで見ていまして。
最初は、なぜあんな遠くまで、わざわざゴミを拾い集めて持っていくのだろうと、不思議に思った感覚は今でもはっきり覚えています。
毎日のように、小学校までの往復3~5kmの距離でたくさん鉄くずやゴミを集めて、遠くのスクラップ屋さんに持っていくと、なんと200円位くれるわけですよ。
当時の子供が200円というとそれは嬉しくてしょうがないわけです。
今の子供達では200円では、わざわざそんなことをしないでしょうね(笑)
時には、捨てられている古い自転車なんかも持っていくから近所のおばあちゃんから感謝もされる。
その結果、自分たちが日々使用する、道路がきれいになって、さらに人から感謝されてお金までもらえる。
普段見向きもしない、こんな鉄くずのおかげで、お金を得てしかも、感謝されることになるわけです。
これはいいなと、子供心に思ったんですね。
瓦屋で石粒付き鋼板屋根材に出会うことになる
――瓦屋さん時代はご自分で屋根工事もされていたのですか?
はい。
屋根や瓦のことがよくわかっていないと、きちんとした工事ができないので、そこでまずは瓦や屋根のことを現場で直に学びました。
とはいえ日本瓦の工事はやっぱり難しくなかなか覚えるまで大変でした。
最初はある親方について、資材の荷上げや材料を運ぶ、いわゆると雑用からやっていました。
それでようやく一年くらいして慣れてくると、営業に行かされることになり、瓦と太陽電池を飛び込みで販売する仕事をやっていました。
当時太陽電池が製品自体が400~500万で、それと同時に屋根工事を行うと合計600万近くなりましたが、これが結構売れましたね。
営業トークとして、工事ももちろん自社で責任施工でやるわけなので、
雨漏りがしても責任もちますということが、自信を持って言えるわけですから強かったかもしれません。
その後、1990年ごろから各大手住宅メーカーが安価で合理的な屋根材を採用することが多くなり、そこからいわゆるスレート屋根(コロニアル)が広く普及してきていました。
スレートは瓦よりは軽いですが、薄い分耐久性がだいぶ劣ります。
太陽電池を屋根に載せると荷重で割れることもあり相性はあまりよくありませんでした。
一方瓦は耐久性の素晴らしい屋根材ですが、太陽電池と合わせるとどうしても重くなり、住まいの影響が懸念されるので、悩みどこでした。
そのような中で、軽量で高耐久な石付鋼板屋根材に出会い、「画期的でこんな使い勝手がいい屋根材があるのか!?」と感じたことを覚えています。
――石粒付き鋼板屋根材と出会うきっかけは?
平成11年(1999年)頃だったと思いますが、たまたま福島の現場に太陽光発電パネルと屋根工事に行った際に、見た目は瓦に似てるのに、近くでよく見るとではなかったのです。
ニュージーランドで作られて輸入されたストーンチップ鋼板で、軽くて丈夫なその屋根材に太陽光発電パネルを設置したのが、最初の出会いだったと思います。
私の生まれ故郷の千葉もそうですが海沿いは塩害で屋根材が錆びてしまうので、瓦の市場なんですよね。
でもその新しい屋根材は瓦の約1/6の重さで、割れない強さがあり、しかも塩害にも強いというではないですか。
これしかない!と思ったわけです。
――それがその後、ディートレーディング社に入社されるきっかけになったのですか?
そうですね。
きっかけには間違いないかと思います。
しかしその時点ではまだ入社までは至らず、一瓦屋として商材を扱いたいと言って突然1人で訪問したのです。
それまでストーンチップ付き鋼板屋根材を販売したい!!と決意したものの、どんな知り合いに聞いても、当時は誰もその屋根材を知らない現実にぶち当たりました。
それでも、色々な建材商社に聞いて回ったところ、ある一社がこんな会社があるよ!と言って教えてくれたのが「ディートレーディング社」でした。
当時のディートレーディング社は先代の藤山が社長で、年商は1億にいくか行かないかだったと記憶してます。
場所は、東京の晴海埠頭の家具屋ビルに10坪ほどの事務所でした。
ディートレーディング社はそもそも社長の藤山が貿易商人として、主にアメリカ建材を取り扱う商社としてスタートしており、その後、海外志向の新築住宅が日本でも増えて、輸入住宅などが流行っていた時代に合わせて、屋根材というよりも先に無垢の床材などをはじめ、多くのアメリカ建材を扱っている会社でした。
そんなディーテレーディング社に、「ストーンチップ鋼板屋根材を扱わせてほしい」と訪問して、一瓦屋としてこれまでのお客様に販売する活動をはじめました。
――反響はどうでしたか?
まったく売れませんでしたね。(笑)
「こんなものが長くもつわけないじゃん」という感じの人も多くいて、その中で反馬していくことは、結構厳しかったです。
今では、当時のことはあまり思い出したくないかも(笑)
それまで、ほとんど知られていない屋根材でしたから、知らないので施工経験がないとう理由や、輸入屋根材ということでちょっと受け入れるためのハードルが高く、金額的も少し高いというのがネックでした。
これは、本当に売れるのか?
と自分自身、半信半疑だったのを覚えています。
屋根材の持ってるポテンシャルを信じ、世に広めることが社会的使命としてディートレーディングへ。
photo:ディートレーディング社の髙木社長と弊社営業部員
――どうやってハードルを超えていかれたのですか?
当然私の中ではこれはいいものだという自信があったので、何としてもこの屋根材を世に広めなければ!という社会的使命は衰えることはなかったです。
住宅における屋根のメンテナンスでは、耐久性の高いものを使うこと、素材が割れないこと、そして通気性が重要なんです。
それは、瓦とスレート屋根を販売しながら、施工していて痛感していました。
ところが金属屋根でありながら他の部材に密着せずに通気性のある商品というのは当時ほとんどなかったのもあり、一般的にはよく理解されていなかったんですよね。
当時の日本は、7割近くが瓦の時代で、セメント瓦が屋根市場を席巻したときもありましたが粘土とは違うので、やはり割れてしまうのですね。
屋根材自体の耐久性を高めるいずれアスベストも禁止になって。
もうこのタイミングしかない!と思いました。
――ディートレーディングに入社された時ですね?
はい。
当時勤めていた瓦屋さんも100人くらい従業員がいましたが、やはり古きものを大事にする考え方が大きく、そこには「新しいもの」を取り入れるという考え方は、邪道と考えられていました。
何度説得しても、誰1人、この屋根材を販売してみようとしてくれず、屋根材の価値自体を認めてもらえないような状況でした。
自分のやりたいことができないのであれば、自分で挑戦するしかないなと思い、その瓦屋さんを辞めて、ディートレーディングに入社することになりました。
当時の上司と、もう一人の営業と三人で個別に屋根屋、工務店、不動産会社を訪問して、この屋根材の共感を求めてひたすらに売り歩きました。
その中で価値を感じてくれる設計士さんや現場監督さんが、少しでもいてくれたことが、その後の継続につながる力になりましたね。
自分と同じ価値感を理解して使ってくれる人が一人でもいることが本当にうれしく思いました。
やがて「ディプロマット」「エコグラーニ」が誕生
photo:ディートレーディング社にて、商品展示。
――当時の屋根材は何という商品名でしたか?
「アルメットルーフィング」というアメリカで開発・製造された商品です。
当時はこの一商品だけでした。
それから平成14年(2002年)に、日本で研究・試作していた「ディプロマット」が新しいラインナップとして誕生しました。
「ディプロマット」は横葺きの一文字二段葺きを1つにするという概念で企画されています。
企画は日本ですが、製造はアメリカで行い、名前もアメリカの人が付けてくれました。「diplomat(外交官)」なので、外交的・協同的なイメージですよね。
アメリカでは「ガーディアンシングル」というまた別の名前で販売されていました。
「ディプロマット」はスレートに近い仕上がりになりますが、当時もう1つラインナップされていたクラシックタイルは波型の仕上がりになり、和洋問わずデザインに富んでいます。
この二つの中間ラインナップが平成20年(2008年)に誕生した「エコグラーニ」です。
「エコグラーニ」は桜などの木材を薄切りにして重ねたウッドシェイクを板金で真似たイメージで、できるだけ平たいフォルムで厚みを出しています。
――今では屋根材の開発は日本で行われているのですか?
そうです。
ディーズルーフィングの「ディプロマットスター」「エコグラーニ」「ローマン」「クラシック」の全てを企画・開発は日本で行っています。
製造のみ海外で、現在では韓国の工場を主軸に行っています。
製造する機械は現地で組んでおり、品質検査も日本人スタッフが行っています。
すべては屋根材の価値を信じてくれたお客様のおかげ
――ディートレーディング社の現在や今後の目標について教えてください
ディートレーディングは昨年の売り上げが約19億円となりました。
これもすべてこの屋根材の価値を認めてくれたお客様のおかげと思っています。
感謝しても感謝しきれない状況いです。
この屋根材「ディーズルーフィング」を良いと思ったお客様が紹介してくれるのですね。
弊社の今後の目標はというと、今屋根業界の中での屋根材のシェアが1.5~2くらいですがこれを5~6くらいに延ばしたいと思っています。
とはいえ強引に売り上げ数字を優先して売りたいわけではなく、採用率が高い販売店さんでも、売り方に問題があるようなところはこちらからお断りすることもあります。
やはり、この屋根材は地道に人から人へと、その良さが伝わり広まっていったものです。
そこで、強引な売り方や、施工に手を抜かれたら、その人から人への伝導も悪い方向に向かってしまうでしょう。
採用してくださったお施主様への信頼があって、安心して長く住まいになると考えています。
もし、高耐久でも信用できない屋根が自分の家に乗っていたらどう思いますか?
製品の品質はもちろん、施工品質やこうした信頼感がやがて安心感へ変わる。
そんな思いがこの製品にはあります。
精一杯いい仕事をして、従業員同士も仲がいいですから、いかに我々自身が楽しくそしてお客様にも楽しんで満足してもらえるような会社でありたいと思います。
太陽光発電でいえば、2018年には国内の太陽光発電メーカーと屋根の改修と太陽光設置を同時に行える『ソラトモ スマートルーフ』を共同開発しました。
弊社の屋根材に太陽光パネルを穴をあけずに施工できるため、きれいに取り外しが行え、また約30年という長寿命の屋根材のためメンテナンスコストが抑えられます。
他にも屋根を早く直す仕組みとして、ドローンの利用や、保険会社と組んで大きな災害の時にスムーズに保険を使って屋根を直せる仕組みづくりもしています。
日本の伝統でもある瓦を尊重した上で、屋根メーカーとして屋根業界のより良い未来を創造したい
――ご自身の今後の展望について教えてください
私自身は元々瓦の世界にいたのもあって、耐久性という点では瓦が一番だと思っています。
瓦を尊重した上で、瓦を施工する職人さんにも弊社の屋根材を一緒に施工しませんかと声をかけています。
お客様の別のニーズを満たす商品の提示ができるのと、瓦職人は特に若い人がこない後継者問題がありますので、この商品を使って一緒に人を呼ぶこともできると思うからです。
エンドユーザーが求めているのは「屋根屋さん」で、瓦とか板金とかそんな区別はあまり認識されていないんですよね。
現在瓦の業界がどんどん縮小していますが、やはり瓦の技術を絶やしてはいけないなと。
瓦は補修や改修の必要性もあるので、瓦の技術を残していくお手伝いがしたいと考えています。
たとえば弊社の製品を多く扱っている施工店さんに瓦の施工技術を学んでもらうなどして、「屋根屋」として屋根業界のよりよい未来を共に創っていきたいと思います。
今回は、弊社にご来訪いただきましてありがとうございました。
弊社グラスビトウィーンは、ディーズルーフィング認定施工店でもありますので、引き続き、地域の皆様にこの高耐久、高品質の屋根材ディーズルーフィングの普及に推進に力を入れていきたいと思っております。
次回は、ディートレーディングの営業部の皆さんにもご登場をお願いしようと思います。
ご自宅の屋根をディーズルーフィングで施工したい!
そんな方は、まずはお気軽に弊社までお問い合わせください。
グラスビトウィーンは、地域密着型の「屋根・外壁」の専門業者です。
創業50年の実績と経験で、皆様の大切なお家の『リフォーム』を
全力でバックアップ致します。
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グラスビトウィーンは、自然石粒付きジンカリウム鋼板
『ディーズルーフィング』の国内認定PRO販売店・施工店です!